ある日、堀江貴文さんの著書『信用2.0』を読んでいたとき、ある言葉に衝撃を受けました。
それが、
**「会社員は使い放題のサブスク」**という表現です。
これまでにも「会社員は奴隷だ」といった刺激的な言葉を目にしたことはありました。
でも、それに対しては「まあ、言いたいことはわかるけど…」という、どこか他人事のような感覚でした。
ところが、「サブスク」と言われた瞬間、リアルに自分ごととして突き刺さったのです。
サブスクの仕組みと会社員の共通点
わたしはNetflixやAudibleなど、いろいろなサブスクを利用しています。
月額定額で、映画も音声コンテンツも“見放題・聴き放題”。とても便利です。
でもその仕組みと、「会社員という働き方」がリンクした瞬間——
ゾッとするような感覚がありました。
月額(=給料)を払えば、時間も知識も労力も“使い放題”。
会社にとっては、都合のいい労働力。
それってまさに、サブスクそのものなんだと感じたのです。
都合よく使われていると気づいた瞬間、辞めたいと思った
わたしはWebデザイナーとして働いていましたが、
実際はデザイン業務以外の仕事もどんどん増えていきました。
周囲の人が辞めていったことで、進行管理、資料作成、事務作業などの引き継ぎが次々と回ってきて、
「わたしって今、めちゃくちゃ“便利に使われている”だけかもしれない」
と気づいたんです。
スキルアップにつながる場面も確かにあったけれど、
その余裕すらないほど、ゆとりのない毎日でした。
それでも会社員であるメリットはある
もちろん、会社員にもメリットはあります。
安定した収入、社会保障、組織の信用、福利厚生……。
「サブスク」と呼ばれようと、守られている感覚は確かにある。
だけど、それ以上にわたしは「自由」を求めているんだと思います。
時間の使い方も、働き方も、自分で選びたい。
誰かに“使い放題”にされる人生じゃなく、自分の価値を自分で決めていきたい。
そう思うようになりました。
この言葉に出会った本『信用2.0』
この考え方に出会うきっかけになったのが、堀江貴文さんの著書『信用2.0』です。
「お金ではなく、信用が未来を切り拓く」
そんなメッセージが詰まった一冊で、その中にあったのが「会社員は使い放題のサブスク」という表現でした。
同時に読んでいた『非常識に生きる』にも、
“会社に依存しすぎず、自分で選択して生きる”という価値観が詰まっていて、心に刺さる言葉が多くありました。
堀江さんの意見はちょっと極端かもしれません。
でも、そこに書かれている働き方の選択肢は、わたしにとっては救いでもありました。
「便利な人材」で終わりたくない
誰かに「便利に使われる」ことで、自分の価値が削られていくのはもう嫌だ。
わたしはサブスクじゃない。
だからこそ、働き方を見直したいと強く思いました。
いまも模索中だけど、こうやって思いをブログに書くことから、
少しずつ、自分らしい働き方に近づいていけたらいいなと思っています。
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